兵庫県高等学校体育連盟テニス部

ホーム資料文献回顧録平成14年度男子大会回顧録 長田高校テニス部顧問 寺谷真一

平成14年度男子大会回顧録 長田高校テニス部顧問 寺谷真一

今年度皮切りの県総体。4連覇を目指した明石城西(以後城西)を関学がシングル2本で押し切り、7年ぶりの優勝。 ちょっと話しかけただけでもさっと手を後ろに回して不動の姿勢をとってくれる城西。試合終了の挨拶のたびにシャツ のボタンを留めるなど、かたくななまでに古風をつらぬく関学。そして、すさまじい勝利への執念を見せる仁川。この3 強に対して残るひとつのベスト4枠を甲南、灘、柳、三田が争う形。城西を除く公立では唯一ベスト8に入った長田も上 位との差は大。今年も公立城西を私学包囲網が取り囲むという春秋戦国時代。年度当初において常勝城西に、関学 が土をつけたことは、さらなる死闘への前奏曲。関学は茨城での全国総体でも、強豪藤沢翔陵に破れはしたものの 堂々の全国ベスト8。畏るべし、ノーブル・スタボネス。総体個人戦では、持病の腰痛を克服して柏(灘)がブレイク。13 シードの位置から、4シード徳毛(城西)、5シード中山(仁川)を破ってのベスト4進出は快挙。シングルス優勝は中川 (関学)。決勝で敗れた渋谷洋太朗(城西)がダブルスでは徳毛と組んで中川・谷(関学)に雪辱。続くインターハイで も渋谷・徳毛は全国ベスト16。中川・谷はベスト8。中川はシングルスもベスト8の上、単複とも優勝者に負けており、ま さに全国区の実力。ただ、個人的なことではあるが、私は中川のサービスが速すぎてよく見えない。レフリー泣かせで ある。また渋谷洋太朗(城西)が右手首を痛め、ほとんど練習できず、チームの下働きをしながら黙々と左手で素振り をしていた頃を知っている私には、彼の活躍が自分のことのようにうれしかった。 3年生が引退しての次世代、夏の県民。城西には一体何人の「渋谷」がいるのだろうと、ある役員がこぼしていたが、洋太朗のあとはきっちり祐樹が優勝。祐樹はそのまま近畿でも優勝。決して大きくはない体であそこまで目一杯ラケットを振り切れるのは、安田、穴田はもちろん古くは宗藤にまでさかのぼる城西の伝統か。成長著しい小川(城西)が谷(関学)を破っての準優勝は見事。ダブルスではノーシードから勝ち上がってきた久保・岡田(城西)が溌剌としたプレーを見せる。優勝は中山・畑(仁川)。ジュニアの頃から有名な二人ではあるが、それにしてもきれいなダブルス。仁川のお家芸の(と私は思っている)ポーチも切れ味鮮やか。うらやましい。このペアで近畿も優勝。 さて、季節は秋。新人戦。さすがに城西、今回は関学に譲らず優勝。個人単優勝、藤原(城西)、準優勝、岡田(城西)。この二人が複も制覇。単複団体と城西が独占。団体はそのまま近畿でも城西が優勝。関学も3位。しかし清風・大産大附の大阪勢の力は底知れず。「1本お願いします!」の声に、コート内の選手が「まかせろっ!」と答える、情熱の同志社国際。どこか修行僧を思わせる風貌に加えて本部への挨拶を欠かさない、さわやかで礼儀正しい東山。この二校が私のお気に入りであったが、今回は東山にかわり同志社が出場。近畿もますます戦国時代。3月の全国選抜、北九州の地で城西・関学がどこまでいくか楽しみ。 まだ時代が昭和と呼ばれていた頃、兵庫県でインターハイが開催されたことがある。山本・谷澤・増田という超高校級三羽がらすに圧倒され続けていた兵庫男子役員・選手に、菊水・徳原(仁川)のダブルス優勝がどれほどの勇気と活力を与えてくれたことか。総合運動公園のセンターコートで伊達と沢松のすさまじい試合を横目で見ながらゴミ集めをしていた駆け出しの頃の私の目に、男女ともに全国トップレベルの「強豪兵庫」は強烈に焼き付いた。 それにしても、たとえば県民大会シングルスベスト32進出者のうち、私学と城西で30人。つまり城西以外の公立から はわずか2人。私は、漢文の授業で「鶏口牛後」を扱う時には、いつもこの兵庫県のテニスレベルの高さを嘆く話で脱 線してしまう。高校で初めてラケットを持った生徒にグリップから教え、空振りをする生徒に手投げで球出しをし、ダブ ルフォールトだけで試合が終わる生徒にアンダーサーブを教えるような日々から、急に本戦の役員に動員されると、 あまりものレベルの違いに呆然とする。しかし、中高一貫でテニスをやってるとか、クラブ育ちの強い選手が入学して きた、というただそれだけでは決してチームは強くならないこともわかってきた。強豪校の先生方のお話を伺うにつけ ても、その指導の細かさや熱心さには畏敬の念を抱く。本戦への道は遠くとも、生徒の才能はいつどこで開花するや もしれず、また、どんなレベルの生徒にとってもテニスをする喜びに違いがあろうはずもなし、OB会などに呼ばれる と、生徒らは何歳になっても、あの時の試合は惜しかった、とか、あの時は先生に怒鳴られた、などと高校時代のテニ スを肴にして盛り上がっている。そんな姿を見ると、小市民的幸せを感じたりもし、こういうのも「あり」かな、と思う。そ して、心の片隅ではひそかに、「いつの日かトップを」、との気持ちを忘れずにいたい。こうやって回顧録に載せてしま うと、全然「ひそかに」ではなくなってしまうが・・・ 以上

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