平成18年度男子回顧録 関西学院高等部 石森 圭一[回顧録-男子]
2011年06月27日
本年度はいよいよ兵庫県での全国高校総体が開催される大きな年であった。一昨年からそれぞれの部署で準備を重ねてきたが、地元開催の大きなプレッシャーの中、お世話いただいた先生方一人一人の力が見事に合わさって、夏の全国総体本番を成功裏に終了できたことは本当に大きな喜びであった。また、審判員をはじめ式典や会場係、練習会場で真剣に大会運営に取り組んでくれた多くの兵庫県高校テニス部員や他の部の高校生たちの頑張りにも感謝したい。この大きな舞台で活躍してくれた選手をみんなで支えたこの夏の経験は、何よりも代えがたい貴重な青春の1ページになったに違いない。
全国総体に関わったすべての人たちに感謝の気持ちをこめて、この1年間を振り返ってみたいと思う。
九州博多で行われた第28回全国選抜高校テニス大会では兵庫県代表の2校である明石城西と関学が共に全国の強豪校を次々と打ち破り、明石城西は長尾谷(大阪)と関学は柳川(福岡)と準決勝を戦った。そこで破れはしたが、両校とも最後の閉会式で表彰を受け、兵庫勢の両方が全国の舞台で活躍して、女子の園田、夙川が築いたテニス王国兵庫に男子も一歩近づいた大会であった。
春の兵庫県ジュニアテニス選手権大会では第一人者佐野紘一(明石城西)が安定した力を見せつけ優勝、準優勝には澁谷竜矢(明石城西)が名を上げた。ダブルスもこの2人のペアが昨年全国総体準優勝の貫禄を見せ、山﨑・桑原組(関学)をフルセットで降し、優勝を遂げた。次期兵庫県を担う存在の16歳以下の部では福田健司が、ダブルスでは昨年度の新人個人制覇の坂根巨都と組んで、単複をともに制した。単準優勝はダブルスペアの坂根、複準優勝は黄・喜多組(関学)であった。
地元開催の全国総体の予選である兵庫県高校総体は、最後のリハーサル大会となって大々的に行われた。団体戦は2校の選出となるため、準決勝からは明石城西、関学、芦屋大附属、甲南の4校による8ゲームズプロセットのリーグ戦となった。台風の目となったのは芦屋大附属、昨年新人チャンピオンの坂根に加えて新一年生の恒松、酒井らが加わり、団体戦に先立つ個人戦でも大活躍して,この団体戦に臨んだ。明石城西戦はシングルス2を芦屋大恒松が明石城西澁谷を破り、ダブルス勝負にもつれ込んだが、タイブレークの激戦の上、明石城西が競り勝った。出場権を決める重要な二戦目は明石城西が甲南を降し、まず1校目の切符を手にした。芦屋大附属は対関学戦で、個人戦で関学のエース山﨑を降した坂根をシングルス1に起用し、澁谷を倒した恒松をダブルスに起用して必勝を期した。
個人戦で苦杯を喫した関学だったが、団体戦は伝統の力を見せてダブルス、シングルス共に総力で取った関学が全国大会2校目の切符を手にした。決勝となる三戦目は緊張の解けた明石城西が関学を圧倒し、4年連続8回目の総体団体を制した。
個人戦準決勝では春の県ジュニアの18歳ファイナリストがそれぞれ16歳ファイナリストを迎え撃ち、佐野が坂根を、澁谷が福田をともにストレートで降し、決勝は県ジュニアと同じ城西決戦となった。佐野は終始安定した力を発揮し、全国大会シードの力を見せ付けて見事優勝した。全国総体出場を果たしたのは準決勝進出した坂根(芦屋大附)と新鋭1年生の福田(駿台甲英)、順位戦を制した森本、野田(いずれも明石城西)の合計6人であった。ダブルスでは佐野・澁谷、野田・池田の明石城西組に辻・大国、山﨑・桑原の関学組が激突した。それぞれの学校のエースが決勝で対決し、春の県ジュニア決勝の再戦となったが、第1セットを奪った関学山﨑・桑原組は第2セットもタイブレークでもぎ取り、見事優勝した。全国総体出場決定戦は野田・池田組が辻・大国組を破り、全国大会の出場権を得た。
しあわせの村と神戸総合運動公園で行われた全国高校総体は、これまでの兵庫県高校テニス関係者の力の結集の下に開催され、連日熱戦が繰り広げられた。団体戦は関学が早稲田実業と対戦し、ダブルを取ったがシングルスで激戦の末2本取られ、一回戦で惜敗した。兵庫チャンピオンの明石城西は2回戦大分舞鶴、3回戦四日市工業を順調に撃破し、準々決勝では佐賀の龍谷を破った東海大菅生(東京)と対戦した。ダブルスを取った城西はシングルス1でエース佐野が菅生のエース大野をフルセットの末破り、澁谷の熱戦が打ち切りとなって準決勝へと進出した。柳川戦でもダブルスが第1セットをもぎ取り勢いに乗ったが、第2、第3セットを盛り返され、シングルス1の佐野が片山に破れて、決勝進出はならなかった。ただ、地元開催の表彰式で見事表彰された明石城西の健闘を大いに称え、拍手を贈りたい。
個人戦では佐野紘一が沖縄の金城、名古屋の二村ら強豪を打ち破り、準決勝で伊藤竜馬に敗れたが堂々の第3位であった。澁谷がベスト16に入り、新一年生の福田が1回戦、2回戦、二年生の坂根巨都が1回戦を勝ち進んで来年へ繋がる戦績を収めた。3年生の野田、森本は残念ながら1回戦で涙を呑んだ。ダブルスは第1シードの佐野・澁谷組が1回戦で伏兵の赤津・田口組によもやの敗戦を喫し、山﨑・桑原組も名古屋の二村・長谷川組に競り負け、全国大会で勝つことの難しさを改めて痛感した。しかし、野田、池田組が緒戦を突破したのを始め、出場して兵庫県民が見守るコートで思う存分戦った3年生の頑張りは、単に結果だけでなく大切な多くのことを下級生たちに伝えたと思う。
本当に大きな大きな総体が終了した後、3年生が抜けてはじめての大会である県民大会は、何かほっとした雰囲気の中、赤穂海浜公園で行われた。シングルスでは福田が笠井(関学)を、恒松が田中(明石城西)を準決勝で降して決勝で対戦した。全国総体での経験を活かした福田がストレートで恒松を降し、優勝した。福田はダブルスでも坂根と組んで決勝に進んだが、決勝ではファイナルの激戦の上、関学の秦・喜多組が優勝した。続く近畿高校テニス大会では福田がベスト4、大崎、黄,坂根の3人がベスト8になった。ダブルスでは秦・喜多組が準優勝、諌山・武内組(明石城西)がベスト4入り、奥貞・野口組(六甲)がベスト8入りを果たした。
春の全国選抜高校を目指す新人団体戦は、春の総体と同じ顔ぶれの4校で決勝リーグが争われた。互いに2勝ずつをあげた明石城西と関学の試合はダブルス2つを8-6、8-6で競り勝った城西がシングルス1を取られたものの4-1で勝利し、新人大会9連覇を成し遂げた。しかし、甲南、芦屋大附も明石城西から一矢を報いて、男子は戦国時代の到来を感じさせた。シングルスは福田健司、恒松寛己の激突となり、フルセットの激戦の末、福田が栄冠を勝ち取った。ダブルスは明石城西の土井・井原組がこれもフルセットの末、関学の黄・内匠組を破って優勝した。全国選抜を決定する近畿地区大会は明石城西が準優勝、関学が4位入賞を果たし、それぞれ来春の全国大会への切符を手にした。どちらも優勝した長尾谷に後一歩まで肉薄しただけに、今後の練習精進によって、全国大会でも昨年同様テニス王国兵庫の力をフルに発揮してほしいものである。
全国総体のあとにはのじぎく兵庫国体が開催されるという、ダブルの全国大会地元開催の年であったが、終わってみれば本当に充実した、実りの多い年であった。この大会を成功させるために、早くからいろいろな先生方がそれぞれの分野で準備を念入りにしてくださった。この間、以前は事務局として大会中は記録の整理などほとんど裏方に回って、自校の選手の試合も見ることがなかったのが、記録係の石川先生はじめスタッフが万全の体制を敷き、コート上では寺谷先生、横田先生たちが率いる兵庫審判員軍団が溌剌とした声で審判をし、二木先生、原先生、下村先生を中心とした兵庫県テニス顧問団の先生方がコートレフリーを勤め、それらを高塚先生をはじめとする進行の先生方が取りまとめ、式典関係を関根先生たちがしっかりと準備をする中、久しぶりに選手たちのプレーする姿をしっかり見
ることができた一年であった。改めてこの1年間、テニス諸行事にご尽力くださった関係の先生方、生徒諸君に熱く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
平成17年度男子回顧録 宝塚東高等学校 高塚一郎[回顧録-男子]
2011年06月27日
昭和63年、兵庫県で高校総体が開かれた年であった。その年の4月私は教師になって2年目で初めてテニス部の顧問になった。何もかもがわからないまま顧問総会のため私学会館までやってきたら矢野先生が総体に向けての話を一生懸命されていたのを今でも思い出す。そして平成18年にまた兵庫でインターハイがある。私はその大会の役員として精一杯やってゆきたいと思っている。では平成17年度の兵庫県の男子の活躍について述べたい。
総体の団体戦の予選では新星芦大付属高がベスト4に進出し、本選出場を遂げた。坂根、施、吉田といった1年生のこれからの活躍に期待したい。さて本選では昨年同様明石城西と関学2強の決勝戦となった。シングルス1では明石城西の松下が6-0,6-3のストレートで勝ち、ダブルスは関学の駒田、沓脱組が6-1,4-6,7-6(6)で勝ち、ポイント1対1でシングルス2の城西渋谷と関学山崎の勝負となった。この試合は両者とも試合中足に痙攣を起こし、試合後片方が救急車で病院に運ばれるという壮絶なものとなった。試合の翌日渋谷君から話を聞いてみたら最後はほとんど意識がなかったそうである。まさに両校の“死闘”を感じさせる試合であった。結果は渋谷が7-5、5-7、7-5 で勝ち、明石城西の3年連続7度目の優勝を果たした。個人戦はシングルスは佐野紘一(明石城西)が、ダブルスは佐野、渋谷組(明石城西)が優勝を果たした。
続いて8月に行われた千葉県柏市で行われたインターハイで、明石城西は団体で昨年と同じベスト8、個人戦ではシングルスで佐野紘一が優勝した湘南工大付属の杉田祐一に敗れはしたもののベスト8に入った。そしてダブルスでは佐野渋谷組が2回戦で団体優勝した柳川の小野田金組を破り、快進撃を続け、惜しくも決勝で負けはしたものの準優勝を果たした。その決勝戦の内容は決して佐野渋谷組が勝ってもおかしくなかった。以前は兵庫県男子は全国ではあまり強くないといわれていた時代があったが、ここ数年の明石城西の活躍は目覚しく長崎総体での団体準優勝、シングルス優勝を始め、“テニス王国兵庫”にふさわしくなってきた。明石城西の今後の全国大会での活躍を期待したい。
次に秋の新人戦では団体ではベスト4に城西、関学、灘、甲南が勝ち上がり、また春の大会に引き続き決勝リーグでは城西対関学の事実上の決勝戦となった。関学は苦しみながらもD1D2を9-7、9-7と2ポイントとり、S1S2は明石城西が8-6、8-1と2ポイントとって勝負はS3の城西森本と関学笠井の勝負となった非常にタフな試合は城西森本が8-6と関学笠井を下し春の大会に引き続き明石城西が優勝を果たした。
個人戦ではシングルスで芦大付属の坂根が、関学の秦を破って優勝し、ダブルスでは明石城西の諌山武内組が関学の喜多、秦組を破って優勝した。
そして11月に行われた近畿選抜で、第3シードながらも明石城西が決勝でインターハイのベスト8で敗れた大阪の長尾谷を3-2で破り、見事優勝した。また関学も3位に入る健闘を見せた。以上が今年の大会の結果である。
私は1公立高校の1顧問である。入部してくる生徒は初心者が多く、グリップの握り方から教えて、何とか2年生になったら県本選に上がれるかどうかである。しかし初心者からはじめて一生懸命練習し成長しうまくなってゆく姿を見るのがとても楽しみである。できればそんな生徒が本選でシード選手を破り、近畿大会や全国に出られたらいいなあと思っている。明石城西や関学の選手たちの試合を見るたび彼らに元気づけられる。
平成18年も17年度同様兵庫の男子選手が全国で活躍できるよう期待したい。
平成16年度男子回顧録 神戸高校テニス部顧問 武本章子[回顧録-男子]
2011年06月27日
今年はアテネオリンピックが開催され、国民全体がスポーツに注目し各種目の選手のすばらしい活躍に拍手を送り、真剣勝負の息詰まる場面に手に汗握ったことも多かった。テニスでは女子が大いに活躍し、多くのテニスファンをわかせてくれた。
兵庫県でも平成18年度には、夏に総体・秋には国体と国内のビッグイベントが2つも開催される。16年度に高校に入学した生徒が3年生となった時主力選手として活躍することになる。そういう意味では、今年の1年生がどういう活躍をするかも楽しみな年度となった。
8月に開催された岡山の総体では、明石城西が全国のベスト8という結果を残した。2回戦・3回戦は順調に勝ち上がった城西であったが、藤沢翔陵にダブルス・シングルスともに1セット目はいい試合をしながら、結果的には0-2という結果となり残念であった。2年後に控えたインターハイの視察のため多くの高体連役員の教師が訪れ応援をしたが、シングル1を戦った佐野の県内ではエースになる球が藤沢翔陵の狩谷には通じず、逆に追い込まれる場面などを見て多くの課題を見つけることができた。しかし佐野がまだ1年生であることを考えるとこれから先が大いに楽しみで、多くの経験を積み2年後には兵庫県のエースとして大活躍してほしいと願うばかりである。
個人戦においても今年度はすべて3回戦どまりで昨年のような輝かしい結果は残せなかったが、シングルス5名藤岡・佐野・松下(城西)大辻(灘)駒田(関学)中4名が1・2年生であることは今後が楽しみである。ダブルスは3組大西・脇坂、藤原・岡田組(城西)楠木・沓脱組(関学)ともに1・2回戦どまりで終わった。
総体男子団体戦の県予選では、明石城西と関学の2強のすさまじい戦いとなった。3試合がすべてフルセットでなおかつシングル1同士の試合が4時間に及ぶものであったことからもそれは想像することができる。ダブルスでは関学の楠木・沓脱組が接戦の末城西の岡田・大西組を征し、逆にシングル2では城西の藤岡が関学の伊勢を征した。残ったのはお互いの学校のナンバーワン同士の戦いであった。1セット目から全力を出しての試合であるので、たとえ鍛え抜かれた足であっても2セット目の後半には疲れが見え始める。この試合を征することが県のナンバー1校になることであり、団体としてインターハイに出場する切符を手にすることとなればの精神的プレッシャーは相当なものである。
最初に体に変調を来したのは城西の藤原の方であったが、当然関学の萩原にも体力の限界が来る。ロービングアンパイアが本部に救急車の手配をする方がよいのではないかと相談をするほどのすさまじい死闘となった。当然体力の限界はとっくに超えている。ポイント間の20秒もまともに立っていられない状態を見ていると「学校の名誉をかけて絶対に勝たねばならない。」という気力だけで戦っているのが観客にも伝わる。お互いの死力の限りを尽くした試合は、1セット目5-7.2セット目7-5、最後に3セット目6-3で城西の藤原が征したが、2人の試合には多くの観客から惜しみない拍手が送られた。ベスト4には灘・仁川が入ったが灘高校は2年以下を中心としたチーム構成で来年が楽し
みなチームであった。ベスト8には甲南・三田学園とともに長田・神戸が公立高校として食い込んだことはまことにうれしいことである。
個人戦では団体戦決勝の次の日ということで、死闘をくりひろげた藤原(城西)と萩原(関学)がシングルスにおいて上位に食い込めなかったのは非常に残念な結果であった。
今後の日程の見直しという課題を残したといえる。シングルス決勝は同じ城西同士の1年と3年の対決ということだったが藤岡が3年生の意地を見せて初優勝した。ダブルスは大西・脇坂(城西)と楠木・沓脱(関学)の対決となったが3年生ペアの城西が2-0で征した。
世代が交代した夏の県民大会。シングルスは城西の佐野は総体の経験を生かして同じ城西の渋谷を2-0で破り貫禄の優勝。1年生同士の決勝となったのは、平成18年度総体に向けてはうれしい材料かもしれない。3位は2年生の駒田(関学)松下(城西)で、ベスト8中5名が1年生という異例の結果となった。ぜひ、総体の団体・個人の全国優勝を目指して順調に伸びてほしいものである。ダブルスは駒田・沓脱(関学)が佐野・渋谷(城西)組を破って優勝。こちらは2年生の貫禄を見せた。ベスト4には松下・華谷(城西)山崎・辻(関学)が入り、県上位2校の強さを見せつけた。9月の近畿大会においては関学2年生ががんばり、シングルスは駒田が準優勝、ダブルスは駒田・沓脱が準優勝をした。
新人戦団体戦は城西が優勝し準優勝は関学であった。ベスト4のチームには灘・甲南が入り、決勝リーグでは3-2で灘が征して3位になったが接戦であった。当然近畿大会の団体戦においても城西が優勝し、関学が準優勝で兵庫県が上位2つを独占して選手層の厚さや強さを見せつけた。個人戦では渋谷(城西)が優勝し、準優勝は佐野(城西)3位には山崎(関学)大辻(灘)が入りまたもや今年の1年生の強さを見せつけた。本来なら新人戦は技術的には物足りない内容になるものだが、今年の新人戦本戦の上位選手はそのようなことを感じさせない迫力ある試合を展開してくれた。
最後に、テニス部顧問になって3年目の私が今年の回顧録を担当することになり、とても前年度までのベテランの先生方のように上手に今年1年の様子を伝えることができないことで相当悩んだことを付け加えておきたい。それでも毎日生徒たちと朝から晩までコートでつきあっていると、いつかはこの紙面に載るような選手を育てたいと夢のようなことを考える。兵庫県のテニス役員の先生のチームワークはすばらしく、テニスは素人の私でも役員として仕事をお手伝いできることを喜びに感じている。きっと平成18年度の総体・国体も多くの先生方のご協力を得て無事乗り切ることが出来ると信じて今年の回顧録を終わりにしたい。
平成15年度男子回顧録 市立西宮高校テニス部顧問 中嶋智之[回顧録-男子]
2011年06月27日
「テニス王国」を宣言する兵庫県のテニス界において、高校男子は常に園田・夙川の女子に-歩譲った感があった
のは否めない。しかし平成15 年夏、ついに男子テニス界にも高らかに王国再建の槌音が響いた。「目指せ頂上」をスローガンに平成13 年度総体や平成15年度選抜の3位をはじめ、虎視眈々と全国制覇を窺ってきた明石城西が、つい
に長崎夢総体において、個人戦シングルスで澁谷祐樹が優勝、団体では準優勝という快挙を成し遂げた。今は大会のホームページを通じてリアルタイムにスコアを入手することができるが、団体決勝の対名古屋高校戦もどちらに勝
利が転がり込むかわからない、一進一退の好勝負であった。惜しくも紙一重のところで頂上に到達することはできなかったが、心からこの快挙を祝したい。それにしても全国チャンピオンの澁谷がシングルス2で出場していることに、
明石城西の層の厚さを感じざるを得ない。また、澁谷の優勝、明石城西の団体準優勝だけではなく、中山・畑(仁川)が複3位に、谷(関学)と脇(明石城西)がそれぞれ単ベスト16に進出し、兵庫県の層の厚さを見せつけた。ちなみに
澁谷のシングルス決勝の相手である吉備(柳川)も兵庫県の出身であり、「テニス王国兵庫」が着実に築かれつつあることを実感させられる大会であった。総体の個人戦で兵庫県勢が優勝したのは昭和63年以来のことであるが、団体戦の優勝となると昭和39 年の甲南まで遡らなければならない。
平成のテニス王国兵庫に男子団体の優勝旗を掲げるのは果たしていつ、そしてどの高校なのか? 楽しみに見守りたい。
さて、平成15年度の県内の大会に目を移す。
まずは県総体。団体ベスト8には第1~7シードまでの明石城西・関学・仁川・甲南・三田・東洋大姫路・長田と第9シードの北須磨がほぼ順当に進出した。準々決勝でも順当に上位4シードの明石城西・関学・仁川・甲南が勝ち上がり、決勝は第1シード明石城西に、第2シード関学を破った第3シード仁川が挑む形となった。81は仁川がリードし、82はフルセットにもつれこむ死闘となったが、最後は明石城西が底力を見せ、2年ぶりの全国切符を手に入れた。
個人戦では、全国を制した澁谷が県を征することも出来ないほどの高いレベルの試合が繰り広げられた。単決勝は、準決勝で2セットともタイブレークの末に澁谷を退けた谷(関学)と、ダブルスペアの脇をフルセットの末に下した小川(明石城西)の対戦となった。フォアの強打を左右に打ち込み続ける小川に対し、最近の高校生には珍しいスライスの効いた芸術的なシングルバックハンドを武器に素早くネットに詰める谷の息詰まる熱戦は、今旬のプロプレーヤ
ーに例えるならばフェレーロ対フェデラーといったところか? ファイナル6-4で谷が勝利し、念願のシングルタイトルを手に入れた。複では、スピード豊かでコンビネーション抜群の中山・畑組が県民・近畿・楽天杯連続優勝の貫禄を見せて小川・脇組を下し、この一年間の主要な大会を総なめにした.プロで言うなれば複でグランドスラム達成といったところであろう。その他、結果的には総体の出場権を手に入れるまではいかなかったが、中山(仁川)をワイパーの如く左右に走り回らせた西山(三田)のハードヒットや、多彩なショットを効果的に繰り出して一時は小川を混乱に陥れた金瀬(北須磨)のプレーなども個人的には非常に印象に残った。全体的に個性的なプレーヤーが多く、スリリングで見ていて楽しい(顧問の先生方はそれどころではなかったであろうが…)試合が多い大会であった。
世代が交代して夏の県民大会。数々のスリリングな試合を演じてきた全国レベルの上級生がごっそり抜け、大会前は「今年はかなり小粒かな?」と思われたが…。さすがに強豪校の選手達はそれなりのレベルにまできっちりと仕上げてくる。これが「伝統」を築き上げたチームの強さか。本戦2日目からは会場の赤穂海浜公園テニスコートが明石城西対関学の対抗戦会場と化した。単は準々決勝の対戦がすべて「明石城西vs 関学」の対戦となり、結果はすべて明石城西側に軍配が上がった。中でも、ノーシードながら細身の体から繰り出す弾丸フォアを武器に第5シード伊勢、第4シード萩原大輔の関学勢を撃破してベスト4まで進出した1年生松下の活躍は「次代も明石城西か?」と周囲に感じさせるには十分であった。結局、昨年の新人戦決勝と同じカードになった決勝では、藤原が第1シードを守ってペアの
岡田を下して優勝。ダブルスもベスト4には明石城西と関学が2本ずつ入り、藤原・岡田組が駒田・沓脱(関学)の1年生ペアを接戦の末に下し、藤原は二冠を達成した。藤原はこの後の近畿大会でも単準優勝、複優勝を成し遂げ、着実に明石城西の柱として成長していることを感じさせた。また、駒田。沓脱両選手は11月の新人戦個人戦において駒田が単複優勝、沓脱が単準優勝、複優勝を飾り、間違いなく次代の兵庫県をリードしていく選手であることを強烈に印象づけた。この大会は明石城西・関学の2校と、その他の学校との差を今まで以上に大きく感じさせた大会であった。
そして秋の新人戦団体。団体ベスト8には第1~4シードまでの明石城西・関学・灘・仁川、第6~8シードの長田・甲陽・神戸、そして第5シード三田を下した雲雀丘が進出した。準々決勝でも順当に上位4シードが勝ち上がった。リーグ戦の結果、明石城西が優勝、2位関学となったが、3位となった灘の健闘が光った大会でもあった。特に関学戦は2-3で敗れはしたが、シングルス2のタイブレークの結果が逆であれば…、兵庫県のテニス史に違った一ページが開かれていたかも知れない。というのは少し大げさであろうか?
結局、その後の近畿団体でも明石城西が三連覇を果たし、関学も3位となって、来春の全国選抜の切符を手に入れた。この2校がより成熟した「テニス王国兵庫」の力を全国で発揮してくれるものと期待している。
最後に、役員となりハイレベルのテニスを見る機会が増えれば増えるほど、自校の選手達の目標をどこに設定すればいいのか分からなくなってしまう。「県で優勝だ!!」と威勢のいいことを言っても、全国レベルの選手達を何度も見てきた自校の生徒達は、私が本気でそう思っていないことを容易に見透かしてしまう。こうした中、1月に「第一回近畿6府県公立高校対抗戦」が開かれた(大阪府は不参加)。兵庫県からは新人戦団体でベスト8に入った長田と神戸の2校が参加し、それぞれ優勝・第3位となった。ここでも兵庫県のレベルの高さを見せつけた。今後、この大会の存続は未定であるようだが、全国大会に出れなかった公立高校チームの新たな目標として、ぜひ発展させていただきたい。
そして近い将来、自校のチームが「近畿公立の雄」として名を馳せることができればな~と思っている。最も、こんなことを生徒に言えば「全国は諦めたんですか?」と突っ込まれそうであるが.・・・
「全国」だとか「雄」だとか、「捕らぬ狸の.…」はここまでにして、今年こそはラケットを持った経験のある生徒がクラブに入ってくれることを期待しつつ、筆を置くことにする。
平成14年度男子大会回顧録 長田高校テニス部顧問 寺谷真一[回顧録-男子]
2011年06月27日
今年度皮切りの県総体。4連覇を目指した明石城西(以後城西)を関学がシングル2本で押し切り、7年ぶりの優勝。
ちょっと話しかけただけでもさっと手を後ろに回して不動の姿勢をとってくれる城西。試合終了の挨拶のたびにシャツ
のボタンを留めるなど、かたくななまでに古風をつらぬく関学。そして、すさまじい勝利への執念を見せる仁川。この3
強に対して残るひとつのベスト4枠を甲南、灘、柳、三田が争う形。城西を除く公立では唯一ベスト8に入った長田も上
位との差は大。今年も公立城西を私学包囲網が取り囲むという春秋戦国時代。年度当初において常勝城西に、関学
が土をつけたことは、さらなる死闘への前奏曲。関学は茨城での全国総体でも、強豪藤沢翔陵に破れはしたものの
堂々の全国ベスト8。畏るべし、ノーブル・スタボネス。総体個人戦では、持病の腰痛を克服して柏(灘)がブレイク。13
シードの位置から、4シード徳毛(城西)、5シード中山(仁川)を破ってのベスト4進出は快挙。シングルス優勝は中川
(関学)。決勝で敗れた渋谷洋太朗(城西)がダブルスでは徳毛と組んで中川・谷(関学)に雪辱。続くインターハイで
も渋谷・徳毛は全国ベスト16。中川・谷はベスト8。中川はシングルスもベスト8の上、単複とも優勝者に負けており、ま
さに全国区の実力。ただ、個人的なことではあるが、私は中川のサービスが速すぎてよく見えない。レフリー泣かせで
ある。また渋谷洋太朗(城西)が右手首を痛め、ほとんど練習できず、チームの下働きをしながら黙々と左手で素振り
をしていた頃を知っている私には、彼の活躍が自分のことのようにうれしかった。
3年生が引退しての次世代、夏の県民。城西には一体何人の「渋谷」がいるのだろうと、ある役員がこぼしていたが、洋太朗のあとはきっちり祐樹が優勝。祐樹はそのまま近畿でも優勝。決して大きくはない体であそこまで目一杯ラケットを振り切れるのは、安田、穴田はもちろん古くは宗藤にまでさかのぼる城西の伝統か。成長著しい小川(城西)が谷(関学)を破っての準優勝は見事。ダブルスではノーシードから勝ち上がってきた久保・岡田(城西)が溌剌としたプレーを見せる。優勝は中山・畑(仁川)。ジュニアの頃から有名な二人ではあるが、それにしてもきれいなダブルス。仁川のお家芸の(と私は思っている)ポーチも切れ味鮮やか。うらやましい。このペアで近畿も優勝。
さて、季節は秋。新人戦。さすがに城西、今回は関学に譲らず優勝。個人単優勝、藤原(城西)、準優勝、岡田(城西)。この二人が複も制覇。単複団体と城西が独占。団体はそのまま近畿でも城西が優勝。関学も3位。しかし清風・大産大附の大阪勢の力は底知れず。「1本お願いします!」の声に、コート内の選手が「まかせろっ!」と答える、情熱の同志社国際。どこか修行僧を思わせる風貌に加えて本部への挨拶を欠かさない、さわやかで礼儀正しい東山。この二校が私のお気に入りであったが、今回は東山にかわり同志社が出場。近畿もますます戦国時代。3月の全国選抜、北九州の地で城西・関学がどこまでいくか楽しみ。
まだ時代が昭和と呼ばれていた頃、兵庫県でインターハイが開催されたことがある。山本・谷澤・増田という超高校級三羽がらすに圧倒され続けていた兵庫男子役員・選手に、菊水・徳原(仁川)のダブルス優勝がどれほどの勇気と活力を与えてくれたことか。総合運動公園のセンターコートで伊達と沢松のすさまじい試合を横目で見ながらゴミ集めをしていた駆け出しの頃の私の目に、男女ともに全国トップレベルの「強豪兵庫」は強烈に焼き付いた。
それにしても、たとえば県民大会シングルスベスト32進出者のうち、私学と城西で30人。つまり城西以外の公立から
はわずか2人。私は、漢文の授業で「鶏口牛後」を扱う時には、いつもこの兵庫県のテニスレベルの高さを嘆く話で脱
線してしまう。高校で初めてラケットを持った生徒にグリップから教え、空振りをする生徒に手投げで球出しをし、ダブ
ルフォールトだけで試合が終わる生徒にアンダーサーブを教えるような日々から、急に本戦の役員に動員されると、
あまりものレベルの違いに呆然とする。しかし、中高一貫でテニスをやってるとか、クラブ育ちの強い選手が入学して
きた、というただそれだけでは決してチームは強くならないこともわかってきた。強豪校の先生方のお話を伺うにつけ
ても、その指導の細かさや熱心さには畏敬の念を抱く。本戦への道は遠くとも、生徒の才能はいつどこで開花するや
もしれず、また、どんなレベルの生徒にとってもテニスをする喜びに違いがあろうはずもなし、OB会などに呼ばれる
と、生徒らは何歳になっても、あの時の試合は惜しかった、とか、あの時は先生に怒鳴られた、などと高校時代のテニ
スを肴にして盛り上がっている。そんな姿を見ると、小市民的幸せを感じたりもし、こういうのも「あり」かな、と思う。そ
して、心の片隅ではひそかに、「いつの日かトップを」、との気持ちを忘れずにいたい。こうやって回顧録に載せてしま
うと、全然「ひそかに」ではなくなってしまうが・・・ 以上