今年度の戦績概要
<県高校総体団体戦> 県大会出場枠のベスト8を決定する予選では、第1~4シードの4校(相生学院、甲南、西宮甲英、関学)は2~4回戦をすべて3-0で制した。残る4枠をかけての4回戦はすべて2-1の接戦であったにもかかわらず、結局は第5~8シード(芦屋学園、報徳、三田、明石城西)が勝ち上がった。ちなみに9~16 シード校では、第13シードの雲雀丘が尼崎北に2-1で敗れた以外はすべてシード校が3回戦を勝利した。従って、県総体団体戦のシード基準がほぼ妥当なものであったと思われる。 県大会では、第4シード関学と第5シード芦屋学園の準々決勝が予想通りの大接戦になり(D 63、S1 67(5)、S2 64)で関学が制し、その他もシード順位がキープされた。第2シード甲南と第3シード西宮甲英の準決勝も予想通りの大接戦になり、新加入1年生を加えた戦力に優る西宮甲英が2-1で勝利した。また、第1シードの相生学院は2-0打切で関学に貫録勝ちした。決勝戦は(D 工藤・島田 61,60 白藤・市川、S1 藤井 36,16 綿貫、S2 平松 62,63 山田)の2-1でダブルスに優る相生学院が制し、104校の頂点に立った。しかし、8月の全国高校総体では、相生学院は2回戦で伏兵の札幌日大に不覚の敗戦を喫し、全国大会団体戦での兵庫県勢の活躍は3月の全国選抜大会に持ち越された。 <県高校総体個人戦> 県大会の出場枠は長い間単68、複34であったが、現在は単96、複48に変更されている。このことで、高校からテニスを始めた選手諸君が予選を突破する可能性が広がり、モチベーションが高まったはずで、全国でも有数の高いレベルにある兵庫県の県大会出場という素晴らしい目標を目指しての努力にエールを送りたい。私自身も21年間は公立高校で「初心者を県大会に送り込むこと」を最大の目標に据えていた。 シングルスは、県大会ドローを4分割すると、第4シードブロックのみで本戦シード選手4名が初戦敗退したが、他の3分割ブロックにおいてはシード選手全員が初戦を制した。さて、ベスト8は団体戦の両雄の相生学院5名と西宮甲英2名、および関学1名になった。その中から、決勝戦は第3シードの綿貫 陽介と第8シードの山田 健人の西宮甲英の同校対決となり、綿貫が 26, 76(4), 64 で大接戦を勝利した。 ダブルスの県大会ベスト8の内訳は、相生学院6組、甲南と西宮甲英が1組ずつで、ベスト4は相生学院2組、甲南と西宮甲英が1組ずつになった。その中から、決勝戦は第1シードの藤井・平川(相生学院)が第2シードの吉田・近藤(甲南)に 63,61 で勝利した。 以上の結果と順位戦の結果から、全国総体には、シングルス 藤井 遼太郎、大野 翼(相生学院)、綿貫 陽介、山田 健人(西宮甲英)、高田 直幸(関学)の5名が、ダブルス 藤井 遼太郎・平川 響己(相生学院)、吉田 有宇哉・近藤 龍之介(甲南)の2組が出場することになった。しかし、全国高校総体の結果は、単複共に2回戦を突破できなかった。来年度の高校総体では、兵庫県勢の全国上位に食い込む活躍を期待するばかりである。 <県高校新人大会個人戦> 3年生が引退し、1、2年生による新鮮な県大会が赤穂海浜公園で行われた。この大会は、近畿高等学校選手権大会の予選を兼ねており、県高校新人大会団体戦の第1資料になり、全国高校選抜大会に繋がり、阪神地区・神戸丹有地区・西地区の団体戦の資料にもなり、多くの意味合いで重要である。 シングルスでは、本戦シードの初戦(2回戦)敗退は1名、3回戦と4回戦のシード選手の敗退は3名ずつであった。ベスト8の内訳は、相生学院・西宮甲英が各2名、芦屋学園・啓明・明石城西・兵庫が各1名となり、半年後の勢力分布がどの様に変わるかが興味深い。準決勝は、田代 悠雅(相生学院)97 白藤 成(西宮甲英)、大島 立暉(相生学院)82 山田 健人(西宮甲英)、相生学院対決になった決勝戦は 田代 84 大島 であった。 ダブルスでは、本戦シードの初戦(2回戦)敗退はなく、シード破りは3回戦の2組のみで、他は順当であった。ベスト8の内訳は、相生学院が4組、西宮甲英・関学・甲南・啓明が各1名だった。準決勝は 山田・白藤(西宮甲英)84 島田・大野(相生学院)、田代・太田(相生学院)85 板倉・田村(相生学院)となり、第1、2シード対決となった決勝は大接戦の末、 山田・白藤 86 田代・太田 であった。 以上の結果と順位戦の結果から、シングルス18名とダブルス9組が近畿高等学校テニス大会に出場し、結果はシングルスのベスト8に相生学院3名が入り、決勝の第1,2シードの相生学院対決は 大島 82 田代 という大活躍であった。それに反し、ダブルスでは 島田・大野 と 田代・太田 の2組がベスト8に入るにとどまった。 しかし、毎年のように短期間で別人のようなダブルスに変身させる荒井監督に、今年も期待したい。 <県新人大会団体戦(全国選抜大会近畿予選大会への県予選)> 参加校は98校であり、県総体の104校より6校減ったが、1~2年生で5ポイントの人数を確保できない高校があり、止むを得ない。県大会出場枠のベスト8を決める予選では、第1~4シードの4校(相生学院、甲南、芦屋学園、関学)は2~4回戦を圧勝したが、第5~8シードの4校のうち第6シードの報徳だけが灘に2-3で惜敗した。県大会の準々決勝では、第4シードの関学が第5シードの明石城西に大苦戦ながら3-2で辛勝し、第1~3シード校はいずれも5-0で圧勝した。ベスト4の4校によるリーグ戦の結果は、相生学院が3試合共5-0で圧勝し、初の男女アベック優勝を達成した。以下は、甲南が2勝1敗で準優勝、関学が1勝2敗で第3位、芦屋学園が0勝3敗で第4位となった。 以上の結果、相生学院と甲南の2校が全国選抜近畿予選大会(12月26日 長浜ドーム)に出場し、相生学院が圧勝で優勝して3月末の全国選抜の出場権を獲得し、甲南も順位戦で第6位になり、出場できる可能性が高い。 全国高校総体の雪辱に燃える相生学院と、出場濃厚の甲南の両校の全国選抜大会での上位進出が期待される。兵庫県高体連テニス部を振り返って
<はじめに> 私こと、今年の3月末に灘高等学校・中学校を定年退職し、高体連テニス部とお別れすることになりました。県立芦屋高等学校・県立西宮北高等学校・県立神戸高等学校・私立灘高等学校での41年間の教員生活の2年目から40年間に渡り高体連の役員を務めさせて頂き、至らない私をサポートして下さいました皆様に心より御礼申し上げます。単に永く務めただけですのに、40年間の回顧録も書くように委員長の門田先生に仰せつかり、固辞しましたが、許されませんでしたので、失礼ながら、少しばかり回顧させて頂きます。
<会計> 私は24年間、会計責任者を務めさせて頂きましたが、当初の年間予算合計は200万円程度でした。それが、17年前に野村先生に引き継がせて頂いたときには約1000万円になり、我ながら恐ろしさを感じたものです。折しも、各種運動競技組織の経費諸問題が全国各地で論議され始めていたので尚更でした。そして、まもなく会計役員が3名に増え、現在は6名になっています。会計となった当初は、大会終了毎に会計決算を行うため、放課後に夙川学院に赴き、矢野委員長と夜遅くまで、領収書と格闘しながら作業したことを懐かしく思い出します。ちなみに、当初の県大会は男女共に 神戸ローンテニス倶楽部(現在の阪急王子公園駅 西へ徒歩5分)で行われ、私が神戸高校選手の頃から、神戸LTCの赤土コートは「県高校テニス選手達の聖地」でした。
<二度の全国総体> その間に、昭和63年の全国高校総体テニス競技大会を矢野委員長の下で開催しました。試合会場の神戸総合運動公園近くに、当時独身で結婚間近だった私のマンションの一室があり、役員達に「そこを大会本部にしよう」などと冷やかされたものです。その大会運営で、私は会計と共に審判委員長に命じられ、2年前から、当時活躍していた高校の先生方に御推薦頂いた1年生の男女審判員を集めて養成し、県大会や近畿大会を審判リハーサル大会として実施し、本番では、個人・団体の1回戦から決勝までの全試合を生徒審判のみで行いました。これは全国総体の歴史上で初めてのことだと聞かされ、他府県の役員の皆様に感心され、お褒め頂きました。そのときの審判副委員長は前高体連委員長の石森先生、その下で走り回って下さったのが新進気鋭の寺谷先生でした。それらの審判員には試合の合間のコート整備班も編成して活躍して貰いました。二度とそのような経験は無いものと思っておりましたが、なんと、平成18年に大阪府が財政難を理由に、予定されていた全国総体テニス大会の運営を不可能として放棄し、兵庫県に回ってきたのです。「冗談やろ! 放棄なんてできるん!」と叫びあったことを覚えています。かくして、全国高校総体テニス競技大会を再び、今度は宮内委員長の下で開催することになってしまいました。そのときの審判委員長はもちろん寺谷先生で、見事なお仕事に感服致しました。これら2回の全国大会の前後は、兵庫県の敗者審判のレベルは全国の見本だと言われたものですが、最近の大会の予選や県大会における敗者審判のレベルは著しくダウンし、見るに堪えません。見かねて、審判に「声を出してポイントコールをしなさい!」と注意すると、観戦している保護者に「邪魔するな!」と怒鳴られる始末です。審判を公正に行うことは重要な教育だと思いますので、是非とも皆様と共にしっかり指導しましょう! 余談ですが、私は県中体連役員も21年間務めさせて頂き、高体連と掛け持ちですので、どちらの役員業務にも徹底できず、不義理になってしまったことを深くお詫び申し上げます。さらに、3年前には全国中学校テニス選手権大会が神戸市で開催され、3度の全国大会の運営に携わったという数少ない者になってしまいました。
<ジュニア委員会> 私は兵庫県テニス協会のジュニア委員も25年間務めさせて頂きました。幸い、当初から兵庫県では、高体連・中体連とテニス協会の仲が良く、運営委員の先生も重複している方々が多く、他府県から羨ましがられるほど協力し合って運営されています。私は3足の草鞋を履き続けたので、大したことはできませんでしたが、ジュニア委員会への出席率が常に委員長(議長)の次だったことだけが小さな誇りです。そういうわけで、当初は酷使され、県ジュニアテニス選手権の県大会で、開会式・表彰式の司会・ルール説明・12U~18U 男女・単複のすべてのオーダーオブプレーをたった一人で4日間やり通したこともありましたが、やがて、若き安田先生が来られましたので、すべてお任せ致しました。また、サマーサーキット大会(男女16U・18U)においては、宮内先生・竹浪先生と共に、合計400名以上の男女を当日抽選し、午前の試合中にドローを作成・印刷して配布し、2日間で第1戦を終わらせ、その上位者をシードとし、引き続く2日間で同様に当日抽選による第2戦を行い、第1・2戦のポイント合計上位の16名によるマスターズ大会(無料)も行うという世界で最も過酷な運営? も行いました。その結果、関西ジュニア出場者を除く選手レベルを強化し、それらの決勝進出者が翌年の県ジュニア選手権や県高校総体でベスト8になることも多く、やりがいも大きな大会でした。しかし、私がジュニア委員を辞任したとき、選手に喜ばれたこの大会は無くなってしまい、寂しく感じました。
<ジュニアポイント> ジュニア委員期間中、我々ジュニア委員にとって最も重要であった仕事は何といっても、ジュニア大会・高体連大会の戦績をポイント化するという難題を解決することでした。これは10年間近く論議を重ねて遂に成し得たものです。難航した最大の理由は、テニス王国兵庫ならではの理由なのですが、当時の園田・夙川が全国団体制覇を続け、兵庫県の決勝は全国の決勝であり、両校の選手数十名が県大会に出場し、その選手たちのシードは両校の監督が決めざるを得ないことでした。ポイント化を巡り、真剣な大喧嘩並みの激論で会議が中止されたことも数回ありました。そのようないきさつで、10年近く前まで、女子の県大会団体戦のドローでは、園田と夙川がスーパーシード(準決勝から試合する)になっていたのをご存知の方も多いと思います。宮内先生を中心とする当時のジュニア委員が主たる大会のグレード別ポイント表を作成し、数年間に渡り、毎年の仮想年間ポイントランキング表を作成し続け、その表を、ポイントなしにドロー会議で作成されたドローと比較し、双方のドローがほぼ一致することを示すことで、ようやく成し遂げられたもので、それらの作業における宮内先生の超人的なお仕事には頭が下がります。それが基になり、西地区の先生方のノウハウも取り入れることによって、今日のジュニアポイントによるシード作成(高体連の大会・テニス協会の大会に共通)に至ったという事柄を思い返すと涙が出てきます。そして、今後も高体連と協会のよい協力関係が維持されることを祈ります。
<大震災> 大きな出来事の筆頭は何といっても阪神淡路大震災でしょう。本年はちょうど震災後20年の区切りの年ですが、高体連テニス部役員の皆様の若返りによって、震災直後の大会運営をどのように行ったかも忘れられかけていますので、迫り来る東海・東南海・南海大地震に向けて、私の記憶を少しばかり書かせて頂きます。震災直後の阪神・淡路は、あたかも大空襲を受けたかのように鉄筋ビルも含めてほとんどあらゆる建物が崩壊し、その上大火災で一面焼け果てた地域も多く、現在の建築物の復興は本当に信じがたいものがあります。 1月17日の震災後、多くの学校の授業も行われない中、3月の県ジュニア選手権は、予選は行わず、過去1年間のポイント上位者による選抜大会とし、丹波総合運動公園で実施しました。また約4ヶ月後の県高校総体は神戸総合運動公園・しあわせの村において予選を含めて実施しました。
<おわりに> 40年間を長々と振り返ってしまい、お読み頂いた方々が貴重な時間を浪費されたかも知れず、誠に恐縮でございます。それでは、兵庫県高体連テニス部の益々のご発展を祈念し、ご挨拶とさせて頂きます。
クラブの練習後に立ち寄った本屋で見つけた言葉に、足が止まった。物理は全くの門外漢であり、ましてや文系人間の自分にとって、出合う事のなかった本。しかし、クラブ活動としてテニスに携わる中で、その「時間」と「空間」をいかに“使う”かの重要性に、自分自身が気付き始めた“タイミング”という事もあり、おそるおそるその本を手に取ってみる・・・
県総体団体戦。ベスト8には第1~4シードの相生学院・関学・甲南・明石城西、第5~8シードの仁川・市西宮、そして第10シードより芦屋学園、ノーシードより雲雀丘が勝ち上がった。ベスト4には上位シードの4校が駒を進め、決勝戦は相生学院と関学の戦いとなった。結果はS1竹元が6-0,6-2、S2田沼が6-0,6-0と危なげなく勝ち、4年連続4回目の優勝を勝ち取った。
県総体個人戦。シングルスではベスト8進出者が竹元佑亮・田沼諒太・飯島啓斗・加藤隆聖・星野承賢・藤井遼太郎・平松晋之祐・平川響己と全て相生学院勢の戦いとなった。ベスト4には3年生の竹元・田沼・飯島・加藤が勝ち上がり、決勝戦は第1シードの竹元と第2シードの田沼の戦いとなり、セットカウント2-0で竹元が優勝した。ダブルスにおいても相生学院の包囲網を打ち崩す事ができず、ベスト4を独占。決勝戦は竹元・加藤ペアと飯島・田沼ペアの試合となり、2-0で竹元・加藤ペアが勝利した。
福岡県で行われたインターハイ。昨年度インターハイを制覇した相生学院は今年もその力をいかんなく発揮した。第1シードとして臨んだ今大会。2回戦龍谷(佐賀)、3回戦海星(長崎)、4回戦筑陽学園(福岡)という強豪校をストレートで下し、準決勝は近畿地区大会決勝と同一カードの清風(大阪)。ダブルス飯島・加藤(相生学院)が矢多・望月(清風)を6-3、6-1で先勝するも、シングルス1竹元(相生学院)が上杉(清風)に6-1、3-6、0-6で取られ、勝負はシングルス2へ。田沼(相生学院)が坂井(清風)にファーストセットタイブレークで落とすも、セカンドセット6-2、ファイナルセット7-5。雷雨による1面進行、7時間にわたる熱戦を制し決勝進出を果たした。決勝の相手は名門湘南工大附。準決勝の疲れが残っていたのか、惜しくもインターハイ2連覇の夢は届かなかった。団体戦に続けて行われた個人戦。シングルスでは竹元がベスト8、ダブルスでは竹元・加藤、田沼・飯島が共にベスト8に進出するも、全国の強豪にその先を阻まれる結果となった。
8月の赤穂海浜公園で行われた新人大会。シングルスでは平松晋之祐、藤井遼太郎、平川響己、田代悠雅、板倉司季の相生学院勢に高田直幸、新見大晴(関学)と吉田有宇哉(甲南)が相まみえる戦いとなった。結果は相生学院勢がこれを退け、ベスト4を堅守。優勝は9-8(3)で平川が伸び盛りの一年生田代に勝ち優勝した。ダブルスでは近藤・吉田(甲南)が相生学院の牙城を崩し、準決勝で平松・工藤(相生学院)を8-3で破り決勝進出を果たしたが、決勝戦は第1シードの藤井・平川(相生学院)に8-5で惜敗した。
続く近畿高等学校テニス大会では、藤井遼太郎(相生学院)が本城和貴(京都/東山)を6-1で破り、優勝した。
10月に行われた新人戦団体。ベスト4に相生学院・甲南・関学・芦屋学園が進出。ベスト8には明石城西・仁川・三田・報徳が勝ち進んだ。決勝リーグにおいても相生学院の強さが際立ち、3試合を全て5-0のストレート勝ちをおさめ5年連続の優勝を決めた。近畿選抜への出場をかけた2位争い甲南対関学は熾烈を極め、D1:9-7、D2:9-7、S1:8-1、S2:2-8、S3:9-7で甲南が関学の猛追を振り払い、選抜への切符を掴み取った。兵庫県予選を勝ち抜いた相生学院・甲南高校は近畿大会でも勢いそのままに、甲南は2回戦で東山(京都)を3-2で破り3位に入り、相生学院は決勝戦、大阪産大附を3-1で勝ち近畿1位で全国選抜行きを決めた。
アインシュタインの特殊相対性理論によれば、時間の進み方、そして物や空間の長さ(距離)は、見る立場によってかわりうる、つまり相対的である(らしい)。近年のラケットの軽量化と性能、また個々の技術力向上も加わり、本戦の上位の選手のプレー、打球は、コートという宇宙空間を光速に近い速度で進む宇宙船のようだ。宇宙船の中(ラケットを振る選手)と宇宙船外にいる対戦相手とでは、時間と空間が入りまじる。光速に近づくほど、時間の流れは遅くなり、物の長さは縮む。速度を手にすることはテニスにおける「時空」をコントロールする事になるのだろう。でも、速い打球を打つ事が全てなのだろうか?いや、そうは思わない。その球速に対してさらなる速さを求めるのも1つだが、最高に遅いボールを、ネットという概念も壊すほど高く、宇宙船の中にいる相手にいつまで“経っても”打てないボールをルールに則り返球する。そんな事を考えながら、今日も滞空時間の長いボールを打ち続けている・・・
限りない挑戦と可能性に賭けてテニスに打ち込む姿を今年も期待したい。共に同じ時間と場所にいれる奇跡に感謝して…
「インターハイ100年の記憶 テニスはすべての競技に先立ち一世紀を刻む」美ら海沖縄総体2010において、テニス競技(個人戦)が第100回大会を迎えたことを記念し、こんなタイトルの冊子が作成された。もう、4年も前のことになるが、兵庫でのインターハイ・テニス競技の開催に運営委員として携わったことを思い出しながら、数多くある総体種目の中で、自分が部活動の顧問として係わっているテニス競技が真っ先に100回大会を迎える伝統種目であることを嬉しく思う。さらに回を重ねながら、部活動競技として発展していくことを願っている。さて、前置きはこれくらいにして、今年度の大会を振り返ってみたい。
【総合体育大会】
学校創立とともに創部3年目の相生学院は、新1年生に国内ジュニアトップレベルの選手を加えて3学年が揃い、その圧倒的な強さを見せ付けた。
まず、団体戦。ベスト8に名乗りを上げたのは、相生学院、関西学院、甲南、明石城西、報徳学園、芦屋学園、仁川学院、啓明。このうち相生学院、甲南、明石城西の3校は、シード順位どおり、ベスト4に駒を進めたが、第2シードの関西学院は、第7シードの仁川学院に1-2で敗退。仁川学院は、5年ぶりに総体団体ベスト4入りを果たした。準決勝の相生学院-明石城西戦は相生学院が、甲南-仁川学院戦は甲南が、いずれも3-0で勝利して決勝進出。初優勝を目指す新鋭の相生学院と、14年ぶり21回目の優勝を目指す古豪の甲南との対決となった。相生学院は昨年度末の3月の全国選抜でベスト8入りし、全国へ名乗りを上げたところ。対する甲南も一昨年度末の全国選抜で3位入賞時のメンバー3人を擁していた。3年生対決となったダブルスは、金江・大西(甲南)が嶋田・長南(相生学院)にフルセットの末に逆転勝利。シングルス1は池川浩史(相生学院)が、セカンドセットを取り返して粘る上原伊織(甲南)をフルセットで下した。ポイント1-1で勝敗がかかったシングルス2は、ジュニア・デビスカップ日本代表のスーパー・ルーキー河内一真(相生学院)がストレートで古村賢太(甲南)に勝利し、2-1で相生学院が初優勝を遂げた。
個人戦のシングルスは、準決勝で第1シードの上原伊織(甲南)が第4シードの河内一真(相生学院)に2-0破れ、第2シードの池川浩史(相生学院)が第3シードの金江紀幸(甲南)に2-0で敗退した。結果、決勝は第3シードと第4シードの甲南-相生学院対決となったが、河内一真がストレートで勝利し、1年生デビューを優勝で飾った。ダブルスでも準決勝は長南・諌山(相生学院)-大西・金江(甲南)、上原・古村(甲南)-宇治・嶋田(相生学院)の相生学院v.s.甲南カードとなったが、こちらはいずれも相生学院勢が勝利し、決勝は長南・諌山が宇治・嶋田を2-0で下して優勝した。
団体戦、個人戦単複ともに勝利を収めた相生学院は、8月の沖縄総体において、団体戦では春の全国選抜に続きベスト8、個人戦ではシングルスで河内一真が3位入賞と活躍した。
【新人大会】
8月の個人戦でも、相生学院勢の活躍が目立った。シングルスではベスト8の8名の中に6名の相生学院の選手が名を連ね、またダブルスでも、ベスト4の4組の中で3組が相生学院のペアであった。シングルスの残り2名は、総体でも活躍していた古村賢太(甲南)と西村顕人(関西学院)。また、ダブルスの残り一組は木ノ下・古村(甲南)であった。相生学院が単複とも優勝、準優勝のタイトルを獲得し、3年生引退後の新チームにおいても、相生学院の層の厚さを実感する結果となった。
10月に行われた団体戦。ベスト8に入った相生学院、甲南、関西学院、仁川学院、三田、小野、雲雀丘学園、報徳学園の8校のうち、上位4シードの相生学院、甲南、関西学院、仁川学院がベスト4に進出。4校による8ゲームプロセットの5ポイントによるリーグ戦が、神戸しあわせの村テニスコートで行われた。結果は3対戦とも5-0で勝利した相生学院の圧勝であったが、全国選抜近畿地区予選へのもう1つの出場枠の獲得につながった甲南-関西学院の対戦は、昨年同様の接戦となった。両チームの熱い応援の中、関西学院が3-2で勝利した。そして11月に行われた全国選抜近畿地区予選では、相生学院が優勝、関西学院が5位という成績を収めた。続く3月の全国選抜大会での活躍が期待される。
テニス部の顧問を務めるようになって13年。前任校の赤穂高校での10年間は、隣接する赤穂海浜公園で行われた県大会や近畿大会の大会運営に傍わりながら、兵庫県の高校テニスのレベルの高さを目の当たりにしてきたが、今そのレベルは、さらに上の極みに達しようとしていると思う。すばらしい能力を持った選手たちが兵庫県にやって来ていることは間違いないと思うが、彼らを導き、支え、そして伸ばしている顧問の先生方の情熱、努力、忍耐、苦悩…は並々ならぬものだろう。全国トップレベルの勝負の世界は、自分には計り知れないものがある。ただ、そこから自分の日々の取り組みの姿勢に目を向けたとき、考えることはある。今回の回顧録の執筆を、もう一度、初心に返って取り組むきっかけにしたい。
今年も1878人がエントリーして、県総体、男子シングルスが行われた。この裾野の広さは、他府県にはない兵庫テニスの宝である。選手たちは、他からの助けが一切許されないコートで、練習を通して培った精神力と磨いた技を試す。優勝する一人以外は、どこかで敗れ、その敗戦を通して、相手との技術の差、それ以上に自分の精神面の脆さに気付かされ、悔しい思いをする。試合では、普段の生活では気付かない自分と向き合わされる、濃い時間が流れる。部員全員が脇役ではなく主役なりうる、それが兵庫のテニスの良さだと思う。
さて、新型インフルエンザに振り回された今年、県総体の日程も一部変更することを余儀なくされた。県総体団体戦では、全国選抜高校テニス(団体)においてベスト4に入った甲南が、準決勝で明石城西に敗退し、兵庫県で勝ち抜くことの難しさを痛感させられる結果となった。決勝は7連覇を狙う明石城西と新進気鋭の相生学院との闘い。3試合が並行して行われ、第1セットは相生学院がすべて取り、観る者に相生学院の初優勝を予感させた。ところが、ダブルスで攻めの姿勢を貫き通した吉山・西川(明石城西)が第2セットを競り勝ち、流れを引き寄せ逆転勝利。S1でも浅井龍雅(明石城西)が宇治崇之(相生学院)に第2、第3セット、ともに61で奪い返し、2-1で7連覇を達成した。試合後、コート中央で宙に舞った明石城西の関係者の方々の姿が、例年以上に眩しく思われた。
個人戦シングルスは、池川浩史(相生学院)が安定したショットと、1年生とは思われない落ち着いた試合運びで、選抜ベスト4の上原伊織(甲南)を準決勝で84で破り、決勝でも沼田孝彰(甲南)に76、61で勝ち、優勝した。また、成長著しい嶋田颯人(相生学院)がベスト4に入り、インターハイへの出場権を獲得した。ベスト4すべて3年生という昨年の結果とは違い、インターハイへの切符を手にした4人のうち3人は1、2年生という結果となった。今年だけでなく、これからの飛躍も楽しみである。ダブルスでは明石城西同士の決勝となり、浅井・朝倉組が吉山・西川組を64、64で下し優勝した。
全国総体団体では、明石城西が3回戦で優勝校の秀明英光(埼玉)に当たり敗退した。シングルスでは沼野孝彰(甲南)が初戦で敗れたものの、相生学院の池川浩史、嶋田颯人は3回戦まで勝ち進み、甲南の上原伊織はベスト8。ダブルスは浅井・朝倉(明石城西)がベスト8、吉山・西川(明石城西)ベスト16に入った。
夏の新人戦、3年生が退くと相生学院の強さが際だち、シングルスではベスト4に池川浩史、諫山航平、宇治崇之の3名が名前を連ねた。相生学院勢の中で一人意地を見せたのが甲南の金江紀幸だ。特に、準決勝の宇治との試合は一進一退の好ゲームで会場で観ている者の目を釘付けにした。結局、タイブレーク11-9で金江紀幸(甲南)が勝利。決勝では県総体を1年で制した池川浩史(相生学院)が金江紀幸(甲南)を62、62で下した。ダブルスでも池川・諫山(相生学院)の1年生ペアが粘る藤・山本(関西学院)を63、64で下して優勝。これで池川は単複を制することとなった。
秋の団体戦、本戦は例年の総合運動公園からしあわせの村に会場を移して行われた。予想通り相生学院が圧倒的な強さを見せて優勝。準々決勝まではもちろんのこと、明石城西、関学、甲南との4校で行われた決勝リーグでも、落としたのは、上原伊織(甲南)が池川浩史(相生学院)を上級生の意地を見せて97で競り勝った1試合だけであった。近畿大会出場枠は2校。残りの1枠を賭けて激しい戦いを見せたのが関学と甲南であった。上原、金江の2枚看板を持つ甲南がS1、S2を取り、ダブルスを強化して臨んだ関学がD1、D2を取り、S3の山本貴大(関学)が97で古村賢太(甲南)を破り、3-2で関学が競り勝ち、近畿大会の出場権を獲得した。この勝利の陰には、本戦1週間前のしあわせの村のテニスコートで、監督が大声で檄を飛ばしてボレー強化に努めた関学の選手達の姿があったようである。
全国選抜近畿地区大会でも甲南を破り、勢いに乗った関学は5位に入り、全国選抜への切符を手にした。相生学院は近畿でも圧倒的な強さを見せ、1ポイントも落とさず優勝…。いよいよ、兵庫の学校が、男子団体で全国の頂点に立つ日がすぐそこまで来ていることを予感させる闘い振りであった。
公立高校においても、今年で7回目を迎える近畿公立高校テニス大会で、明石城西が優勝、長田が5位入賞した。兵庫県の代表2校を各地区の代表が集い兵庫県予選大会で決定するようになって3年目となる。まずは「地区の代表」として兵庫県予選大会に出場することを目指し、「近畿」という冠のもと戦える可能性があることが、いつも私学に圧倒されている公立高校の選手達にとってチームの目標となり、大きな励みとなっている。
最後に、数年前になるが、夏の指導者講習会で私はテニス経験がほとんどないという先生方を対象にしたグループを担当させていただいた。そこで、ある公立高校の女性の先生に「球出しの仕方を教えてください」と依頼された。他のグループでドリル練習のメニューが紹介されている中、炎天下、2時間余り、汗びっしょりになって、ひたすら球出しの練習をされた。講習会終了後、「今まではコートの隅で生徒達の練習を見ているだけでしたが、これからは練習の中に入って、球出しをしてあげることができます」と喜んでおられたお顔が今でも目に焼き付いている。 トップ校はもちろんのこと、テニスコートに足を運び、生徒たちと時間を共有し、「生徒たちに何かを…」という熱い思いによって、この兵庫テニスの大きな大きな裾野が支えられていることを感じる。
そういう中、私は、自分の学校の生徒たちが、テニスの試合を通して、自分と向き合う貴重な時間を経験することができるように…と同好会の立ち上げに奔走する日々を送っている。
今年度のテニス界は良いニュース、悪いニュースが飛び交う波乱の年になったように感じる。全国レベルの高校テニス部の不祥事や現役のプロ選手の大麻事件などが、新聞の紙面やマスコミで大きく取り上げられ、学校教育における「部活動テニス」の存在意義や役割を再考させられた。伊達公子選手の現役復帰そして全日本選手権優勝や全豪本戦出場、錦織圭選手の世界レベルでの活躍など明るい話題もあった。また、他競技ではあるが、高校生プロゴルファーの石川遼選手やスケートの世界チャンピオン浅田真央選手の活躍は同世代の高校生にとって良い刺激となり、マスコミに対する彼らの試合前後のコメントなどは良い手本となったのではないか。
それでは今年度の兵庫県男子高校生の活躍を団体戦中心に振り返っていきたい。
県総体団体戦は今年度からベスト8に入った学校が総合運動公園での本戦に臨む形で行われた。ベスト8に明石城西、関西学院、甲南、芦屋大付属、神戸、仁川学院、雲雀丘、相生学院、ベスト4にシード通り明石城西、関西学院、甲南、芦屋大付属が勝ち進んだ。準決勝、明石城西-芦屋大付属戦は3-0で明石城西、関西学院-甲南は2-1で甲南が勝利した。関学-甲南戦のシングルスNo.1は沼野孝彰(甲南)が75、62で黄賢人(関学)を破り、エース対決を制した。シングルスNo.2は上原伊織(甲南)がルーキーらしからぬ戦いをみせ、62、62で六車直遠(関学)に勝利した。甲南は平成8年度以来の11年ぶりの決勝進出となった。決勝、シングルスNo.1は井原力(明石城西)が序盤から優位に試合を進め、沼野孝彰(甲南)に61、63で勝利し流れを作り、続いてダブルスも浅井・土井(明石城西)が八島・大西(甲南)に63,61で勝利した。その結果、明石城西が2-1で6年連続の優勝を決めた。
県総体個人戦シングルスは優勝:福田健司(駿台甲英)、準優勝:黄賢人(関学)、ベスト4:井原力(明石城西)、中本真太郎(明石城西)、ダブルスは優勝:井原・土井(明石城西)、準優勝:松本・六車(関学)という結果になり、全国大会への切符は全て3年生がつかむこととなった。
全国総体団体では全国選抜ベスト4の明石城西が初戦の2Rで敗れるという波乱があった。全国レベルでシングルス2本、ダブルス1本で勝つことの難しさを感じた。とはいえ、明石城西に勝利した浦和学院(埼玉)は関西(岡山)にも勝利し、ベスト8入りしている。私は団体準決勝、決勝を観戦したが、特に決勝は湘南工大付(神奈川)の圧勝に終わり、全国大会のレベルの高さ、選手たちの思いの強さを見せつけられた。
個人戦はシングルスで福田健司(駿台甲英)がベスト16入りするものの、その他は苦戦を強いられた。シングルスで黄賢人(関学)ベスト32、井原力(明石城西)ベスト64、中本(明石城西)一回戦敗退、ダブルスでは井原・土井(明石城西)ベスト32、松本・六車(関学)一回戦敗退という結果に終わった。8月の猛暑中での連戦で勝利するには、かなり高いレベルでの心技体を備えていなければならないと痛感させられた。
代が変わり、夏の新人大会個人戦ではベスト4に沼野孝彰(甲南)、浦上武大(関学)、宇治崇之(相生学院)、浅井龍雅(明石城西)の団体戦のトップ4シードのエースが勝ち上がった。準決勝で浦上が沼野を、浅井が宇治を退け、決勝戦ではフルセットの激戦の末、ファイナルセットをタイブレークで征した浦上が優勝した。ダブルス決勝では浅井・朝倉組(明石城西)が浦上・吉川組(関学)に勝ち、シングルスの雪辱を果たして優勝した。
今年度の全国選抜の予選を兼ねた県新人大会団体戦は異例の形で行われることとなった。例年はベスト8から総合運動公園で本戦が行われるのだが、今大会はベスト8から上位シード校の関学、明石城西を会場として行われた。準々決勝、関学会場では関学-滝川50、相生-仁川50、明石城西会場では甲南-雲雀丘41、明石城西-報徳50で関学、相生、甲南、明石城西がシード通りベスト4入りした。ここからは4校での8ゲームのリーグ戦となるが、例年より各校の実力に大きな差がないことや会場のホームアウェイの関係もあったのか、まれにみる混戦になった。リーグ戦第一試合、関学会場で関学が相生を50、明石城西会場では明石城西が甲南を32で下した。明石城西-甲南戦は明石城西がダブルス2本、甲南がシングルス2本を取り、シングルスNo.3に勝敗が託された。ダブルスで流れをつかんだ明石城西がホームの利も活かし勢いに乗り、朝倉康平(明石城西)が金江紀幸(甲南)を85で破り、大事な初戦で勝利をおさめた。リーグ戦2日目、会場を関学へ移し、第一試合、甲南が関学を32、相生が明石城西を32で下し た。両試合ともどちらが勝つか最後まで分からない好ゲームとなった。甲南-関学戦は前日に引き続きシングルスNo.3に勝敗が託された。藤圭太(関学)が序盤安定したプレーで金江紀幸(甲南)を51までリードしていたが、後半、金江が気迫のプレーで挽回し、まさに団体のシングルスNo.3の試合という雰囲気になり、最後は金江が藤を86で下した。この時点で、各校が1勝1敗で並び最終試合、関学は明石城西を41、甲南は相生を41で下し、甲南が11年ぶりの優勝、関学が準優勝を果たし、兵庫県の代表として、近畿大会へ出場することとなった。
近畿大会へ出場した甲南、関学はともに決勝に駒を進め、全国選抜への切符をつかむとともに、優勝をかけて再び対戦することとなった。準決勝で第1シードの清風を破り勢いに乗る関学は、決勝でも32で甲南を下し、県大会のリベンジを果たし、優勝を手にした。3月に行われる全国大会ではともに上位進出を目指し、県代表としての誇りを持ち、戦って欲しいと思う。
ここ数年、学校教育を取り巻く環境は大きく変化してきており、当然、ジュニアテニス界も大きく変化してきている。このような変化の中で学校における部活動はどうあるべきか、考えさせられることが多々ある。変化すべきは変化し、対応していかなければならないが、「部活動テニス」が果たすべき役割は大きいと思う。選手たちが心技体ともに大きく成長する場となるよう、私自身も研鑽を積み、成長していかなくてはならないと日々感じている。
私がテニスに出逢ってから、何年経つのだろう。私の通っていた尼崎の公立中学校には、ソフトテニス部しかなく、帰宅後はひたすら壁打ちをする日々が続いた。荒れる中学校の中にいて、横道に逸れず、まとも(?)に育ったのもテニスのお陰であると思っている。私の高校時代は、試合といえばアンツーカーコートかクレーコートで行われていた。球足は遅く、攻撃よりもミスをせずにつなぐことが重視された。その頃から比べ、現代のテニスはスピードとパワーで、ポイントを取りに行かなければならない。今の高校生のテニスを見て、「わー、こんなカッコいいテニスを俺もしたかったなぁ」などと思いつつ、この1年間を振り返ってみたいと思う。
3月末から行われた楽天杯の18歳以下男子シングルスでは、第3・4シードが準決勝までで敗退する番狂わせがおこった。ベスト4に残ったのは、福田・坂根・鈴木(以上駿台甲英)、中本(明石城西)であった。この中で失セット数0で優勝したのが福田健司(駿台甲英)であった。ダブルスも、シングルス同様に第1・2シードが準決勝で敗れる混戦となった。決勝は、福田・坂根(駿台甲英)対松本・六車(関学)の顔合わせとなった。やはり、シングルスの勢いがあったのか、福田・坂根組がフルセットの末、優勝した。
6月に行われた県総体(インターハイ予選)の団体戦は、楽天杯18歳以下シングルス、ベスト4に3人を占める駿台甲英が、第3シードで登場し、混戦するであろうことが予想された。準決勝の明石城西対甲南、駿台甲英対関学、ともに2-1で明石城西と駿台甲英が勝利した。決勝は、ダブルスとシングルス2を明石城西が取り、シングルス1も駿台甲英が棄権したため、3-0で明石城西の5年連続9回目の優勝が決まった。個人戦のシングルスでは、第2シードの恒松がよもやの初回戦で敗退した他は、上位4シードまでの選手が準決勝に進出した。決勝は、福田対渡部となり、セットカウント2-0で福田が勝利し、団体戦のリベンジを果たした形で優勝した。ダブルスの準決勝の対戦は、第1シードの福田・本村組対第5シードの土井・井原組、第3シードの諫山・武内組対第7シードの渡部・灘組の顔合わせとなった。福田・本村組はファーストセット、タイブレークで取ると、そのまま勢いに乗り、セカンドセットも連取し、決勝に進出した。 もう一方は、2時間以上の接戦の末、渡部・灘組が勝利した。決勝は、ファイナルセットに入るかと思われたが、渡部・灘組がストレートで勝利し、優勝した。この大会で感じたことは、やはり回戦が進むにつれ、気魄あふれる見応えのある試合が多数あったことと、なんと棄権の多い大会だろうということである。体力消耗や突発的な事故ならいざしらず、団体戦の準決勝以降3試合と個人戦シングルス準決勝1試合が棄権とは驚いた。(まぁ、これも時代の流れといえばそれまでなのか・・・)結果として、団体戦は明石城西高校、個人戦シングルスは、福田・本村(以上駿台甲英)、中本・渡部(以上明石城西)、酒井(芦大附属)、ダブルスは、渡部・灘組(明石城西)、福田・本村組(駿台甲英)の全国総体出場が決まった。 佐賀県で行われた全国総体(インターハイ)では、団体戦も含めてシングルスの渡部、ダブルスの和種部・灘組が2回戦で敗退した他は、全て初回戦敗退という寂しい結果に終わった。やはり、全国大会で勝つということの難しさが顕著に現れたと思う。
8月末には、夏休み最後の大きな大会となる新人大会が、赤穂海浜公園で行われた。団体戦の主資料となることから、猛暑をも吹き飛ばす熱い戦いが展開された。シングルス決勝は、県総体を制した福田が中本を、ダブルス決勝は、恒松・酒井組が大崎・中本組をそれぞれストレートで退け、優勝した。
10月には、新人テニス大会の団体戦が行われた。各校とも夏休みからの鍛錬の成果を発揮すべく、白熱した戦いが繰り広げられた。上位4校に進出したのは、明石城西・関西学院・芦大附属・甲南であった。やはり、総合力で一歩リードしている明石城西が優勝し、2位は関西学院という結果になった。近畿選抜大会に出場した2校は、そこでも勝ち進み両校ともに全国選抜大会の切符を見事勝ち取った。3月に行われる全国大会での活躍を期待したい。
1年間の大会を簡単にではあるが振り返らせてもらった。以降は私なりの感想を少し述べさせていただきたい。高校生という年代は1・2ヵ月の間に著しく成長するものだと痛感させられた。それはやはりテクニックを磨くこともさることながら、心の成長が大きな要因であるように思う。その心の成長を助け導くことが、我々の最も大切な仕事だと感じた。プロを目指す選手もいるだろうが、大半の選手はそうではない。ならば、テニスと通じて何を学ぶか。「勝つために努力すること」、「雑事に関わらぬ勇気を持つ」、「思い通りに行かない時に辛抱強く耐え忍ぶこと」等々、これらの人格形成に関わることを、テニスという競技を通じて学んで欲しい。そのために我々は何をすべきか、いや、何ができるのか。私自身、大した能力があるわけでもない。ならば、自分の後ろ姿を見せる以外ないように思う。そう考えた時、果たして自分はよき指導者と言えるだろうか。んー、まだまだ修養が足りませぬ・・・・・・。